日常生活の何気ない習慣や出来事を見渡すと、さまざまな素朴で不思議な疑問が起こり、「なぜ、どうして?」と。その謎を解き明かします

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北東の方角は、なぜ、「鬼門」とされているの?


家を建てる際に多くの人が気にするのが「鬼門」でしょう。
北東のことで、その正反対の方位である南西を「裏鬼門」といいます。方位学では、どちらの方角にも玄関やトイレ、風呂場、台所などを設けるべきではないとされています。

この鬼門のルーツをたどっていくと、古代中国へ行き着き、当時の中国では、この世の果てに桃都山(とうとざん)という山があり、そこには枝の間隔が2000里という長さの桃の大木(桃都樹)が生えていて、北東部分の枝が複雑に絡まり合って門のようになっていると信じられていました。



★そして、その門のような隙間から、鬼たちが悪さをするために人間界へ侵入してくるのだと恐れられていました。このことから、北東=鬼門とされるようになったということです。

ですが、なぜ、北東なのか。
それについては、北東から攻め入ってくる騎馬民族に、歴代の皇帝たちが手を焼いていたという古代中国の歴史が関係しているという説があります。つまり、「悪さをする鬼」とは、騎馬民族のことを指していたということです。

ところで、日本で「鬼門」について最初に触れている文献は鎌倉幕府の正史「吾妻鏡」ですが、鬼門封じにもっとも腐心したのは、それから400年以上の後に天下を統一した徳川家康だといわれています。

家康は江戸幕府の安泰を末永く維持できるよう、側近の僧侶天海に策を練るよう命じ、天海は、江戸城の北東に寛永寺を創建し、さらにその手前に神田明神、裏鬼門である南西の方角に日枝神社を置き、鬼門を封じたといわれています。

江戸幕府が300年近く続いたのも、この鬼門封じが効いたためかもしれません。

ところで、鬼門封じには別の方法もあります。

一つは、北東部を放置することです。たとえば、京都の東寺では、北東エリアに重要な施設を建てずに駐車場として利用しています。
もう一つの方法は、敷地や建物の北東の隅に角を作らないようにすることで、京都御所では、鬼門に当たる北東隅の塀をわざとへこませています。






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